2015年01月05日

「飛ぶ教室」エーリッヒ・ケストナー

世界的に有名な作品を、光文社の新訳(丘沢静也)で再読した。
ドイツが誇る永遠の名作。

 

舞台はキルヒベルクにある、ヨハン・ジギスムントギムナジウム。
4年制の小学校を出た子どもたちが9年間学ぶ場所だ。

ヨナタン・トロッツは父親に捨てられた。
単身、アメリカから船でドイツにやってきた孤独な少年。

マルチン・ターラーは家が貧しいものの、優等生。
マチアス・ゼルプマンはいつも腹を空かせている。ケンカが強い。
読書家のゼバスチアン。

彼らを支えるのが「正義さん」ことベーク先生。
そして禁煙さん。

実業学校との争い。旗を破ったギムナジウムも悪い。
ディクテーションノート(正しいスペルをマスターするための書き取り帳)が燃やされる。

正義さんは自身の経験を語る。
母の見舞いに行くため、身代わりになった友人の話を。

最上級生の美男テオドールは教条的。
しかし正義さんは偉大だった。

ヘビースモーカーの禁煙さんは正義さんの友人だった。
病で妻と子を失った禁煙さんは医師として役に立たない自分を呪う。
そして世捨て人となった。

そしてクリスマス。劇も無事に終わる。
マルティンは汽車賃が無く、家に帰れない。

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この作品、何度読んでも泣いてしまう。
泣くまいとするマルティンが正義さんに声をかけられ、こらえきれずに泣く。
この場面は号泣必至だ。

ドイツ人にとって、クリスマスと家族と過ごすことはとても重要。
孤独に耐えられず、自殺する人も結構いるらしい。

ナチス政権はケストナーの作品を発禁処分にした。
燃やされる本を見に行ったケストナーは、まさに皮肉の人。

燃やされたノートの件では、「見過ごすことの罪」が問われている。
ナチス政権を許した国際社会とドイツ国民にとって、耳の痛い話ではないか。

ナチス幹部の裁判にかかわったユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレント
彼女の思想にも通じるはず。
フランスにサン・テグジュペリがいるように、ドイツにケストナーがいる。

もうひとつは「勇気とは何か」という点。
勇気を示すため、ウリーは飛び降りて骨折した。

この問いに、多くの読者が自問自答したに違いない。
示すべき時に勇気を示すことが、どれほど難しいか。
そう考えれば、彼の作品は大人が読むべきものでもある。

光文社の新訳は、原文に忠実らしい。
山口訳との比較も気になるところ。

残念なのは、ケストナーの作品を過去のものにできない現代人。
人類に進歩が無いことの証明だ。

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posted by りゅうちゃんミストラル at 16:02| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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