2014年12月27日

「金閣寺」三島由紀夫

あまりにも有名な三島の代表作。
恥ずかしながら初めて読む。

 

彼の作品は「獣の戯れ」「愛の渇き」以来。
三島は、戦争がなければ芥川賞作家になっていたはず。

最終的に金閣寺に放火する溝口の一人称で話は進む。
僧侶の父を持つ溝口は吃音というコンプレックスがある。

最上の美しさを持つ金閣寺に預けられる。
肺を病んだ父は喀血し亡くなる。

寺では鶴川という男と仲良くなる溝口。
有為子という美しい娘の思い出が常に頭をよぎる。

大谷大学に入った溝口は、足が不自由な柏木と出会う。
そして、老師が芸妓といるところを見てしまう。
この件を境に、溝口は勉学に対する意欲を失う。

溝口の態度に不穏さを感じた柏木。
交通事故死した鶴川が、実は自殺だったことを話す。

柏木から金を借り、寺を出た溝口は舞鶴湾で日本海を再び見る。
そして、金閣寺放火を決意する。

***** **** ***** ****

読まなくても内容は知られているので、「何が起きたか」は関心がない。
それより主人公の内面がより重要視される作品。

読むのはそう難しくはない。
しかし、この作品を書くのは私には生まれ変わっても無理。
だからこそ、今日でも読み継がれている。

この作品、何が素晴らしいか。
よく小説には「この部分が心に残った」という場所がある。

しかしこの作品ではその部分がとても多い。
今まで読んできた小説は何だったのかと思うくらいの出来。

ただ柏木の告白は文学的だが、31歳の三島の視点でしかない。
大学に入ったばかりの柏木とは違う。
どう考えてもあんな説明はすぐにはできない。

溝口の考えは、理解できない。
金閣寺を焼くことで「教育的効果」があると信じる彼。

しかしこれは明らかに誤り。
実際の放火事件でも5年後に金閣寺は再建された。
(実際の犯人は、睡眠薬を飲み小刀で割腹自殺を試みたが未遂に終わった)

隣の韓国では、08年に崇礼門放火事件があった。
南大門と呼ばれたこの門は国宝第1号だったが全焼。
金閣寺と同じく「教育的効果」はなかった。

新聞に芸妓の写真を挟むところも幼稚でしかない。
溝口のこうした行動は、何を意味しているのか。

コンプレックスの作家、三島。
吃音に悩む溝口は、三島を投影している。

弱い肉体を持つことでコンプレックスを感じていた三島。
自衛隊駐屯地での割腹自殺は金閣寺放火とどう関係したのか。
すでに多くの人が語っているので、ここでは触れない。

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posted by りゅうちゃんミストラル at 16:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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