私が忘れている世界がここにはあった。
光あるところに影がある。
だからこそ部落差別でも「人の世に熱あれ 人間に光あれ」という言葉がある。
トイレについて、これほど語れる人がどれだけいるのか。
それだけを考えてもこの作品の価値はとても高い。
谷崎はこう語っている。
「四季折々の物のあわれを味わうのに最も適した場所」
(本文より引用)
我々現代人は、トイレについて実用的な部分ばかり見ている。
誰がトイレに「風流」を求めているか。
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私が読んだのは岩波文庫の随筆集。
解説は篠田一士。「逆説的な真意」という視点は興味深い。
安易な「日本への回帰」という見方を篠田は強く否定している。
この評論を読んだ方の中で、どれだけの人がそう感じているか。
読んでいて思い出したのが「アイヌ神謡集」で知られる知里幸恵。
彼女は18歳にして、失われつつあるアイヌの文化について残そうと努力した。
我々は「アイヌ神謡集」の序文からアイヌの文化が失われつつあることを知った。
その反面、今までの日本文化が失われつつあるということを忘れてはいなかったか。
失われる物はどこにあるのか、「他人事」にしてはいなかったか。
もし谷崎が現代を見たとしたら、どのような評価をするだろう。
考えると時間がいくらあっても足りない。
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