googleで紹介されていた。
彼女は「沈黙の春」(Silent Spring)で農薬など化学物質の危険について訴えた。
この本は1962年に発表され、現在も環境問題を考える教科書となっている。
彼女は多くの批判を受けながら、「沈黙の春」はDDTの禁止に貢献した。
今後も多くの人に読み継がれるに違いない。
もうひとつ、彼女の大きな功績。それは「センス・オブ・ワンダー」。
姪の息子ロジャー(本では甥と書かれている)と過ごしたメイン州での日々が描かれている。
自然に触れることで生まれる感動。
この感覚はとても貴重なものだ。
日本でもそれは同じ。
「理数科離れ」という言葉があるけど、理科には二つの意味がある。
ひとつは生徒が受験のために勉強する科目としての理科。
もうひとつは「何故なんだろう?」という探究心から生まれるもの。
両者はどちらも必要。
しかし、受験のための科目として学校内で理科を勉強している場合。
夏休みに自由研究を宿題として出されても何をしたらいいかわからない。
そんな生徒も多いだろう。
もの問題は先生に責任があるけれど、彼らも公立の学校であれば単なる地方公務員。
「理科の素晴らしさ」を訴える時間はないのかもしれない。
もしそうでなければ、夏休み明けの学校はレベルの高い自由研究で溢れるはず。
それ以前の問題として、理科の先生というのは「理科のできる生徒」だったはず。
そんな先生が「できない子」の気持ちを理解できるわけがない。
高校や大学受験のため、生徒を分類する。
そのための理科だとしたら、理数科離れは当たり前だ。
理数科離れがあるからこそ「センス・オブ・ワンダー」はより求められる。
私自身、数学や理科が苦手で文系を選択したので体験としてこのことを理解している。
レイチェル・カーソンの訴えは今後も生き続ける
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