2014年03月10日

「銀の匙」中勘助

見事に子どもの心を表現した自伝的小説。
漱石が賞賛したのは大いに納得できる。
   

タイトルになっている「銀の匙」。
伯母さんが「わたし」に薬を飲ませるために使ったスプーンのこと。

いつも伯母に背負われていた「私」。
神田にいた頃から人との付き合いがとても下手だった。

学校に行くことを嫌い、最初のうちは勉強もできなかった。
だがケイちゃんに「ビリ」を指摘されたことからスイッチが入る。

当初は楽しみだった修身が嫌いになった場面など、共感に値する。
軍国主義を押し付けられ、「支那にだって関羽や張飛がいる」という場面。
「少年H」(妹尾河童)を思い出した。

「孝行」に対するアレルギーもよく理解できる。
右傾化が進んでいると危惧される今こそ、この作品の価値は高まる。

中は稀有な作家だ。記録という点で人は機械には劣る。
その反面、機械にはこの作品のような描写ができない。

しかも中は他の作家や作品に影響されない。
ある意味素直で、ある意味とても頑固な一面を持っている。
漱石が高く評価したのはまさに慧眼と言える。

解説は和辻哲郎。こう述べている。

大人は通例子供の時代のことを記憶しているつもりでいるが、実は子供としての子供の立場で感じたことを忘れ去っているのである。
(赤字部分、岩波文庫改版225ページより引用)

この言葉、どこかで読んだことはないだろうか。
「星の王子さま」(サン=テグジュペリ)の冒頭に、こんな言葉がある。

「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」
(赤字部分、「星の王子さま」より引用)

国も文化も違う中勘助とサン=テグジュペリ。
二人にこんな共通点があったということが私にはとても興味深い。

もうひとり、子どもの心を失わない作家に、エーリッヒ・ケストナーがいる。
彼は「飛ぶ教室」「エーミールと探偵たち」で世界中にファンがいる。

いろんな国に子どもの心を失わない作家がいるはずだ。
彼らこそ、人類にとって大きな希望となっている。

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もうひとつ読んでいて思ったのは、多くの人がいる中での孤独。
社会学、心理学の教材に使えそうな内容でもある。

ましてや叙情豊かに表現できる人は稀だ。
我々は、どこかでこうした豊かさを失ったのではないか。
読んで損のない、自信を持って薦められる作品。

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posted by りゅうちゃんミストラル at 01:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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