どうして空襲の前に戦争をやめることができなかったのかということについて。
春秋(日経新聞)
▼「本モノ」の空襲の前に、なぜ戦争をやめられなかったか。歴史をたどれば誰もが思うに違いない。19年7月、サイパン陥落によって米軍が空爆拠点を確保したときに敗北は運命づけられたといわれる。しかし現実に目を向けず、なお1年余にわたって無謀な戦いを続け、かぎりない悲劇を重ねていった大日本帝国である。
▼いまでは太平洋戦争のこういう経緯さえ忘れられがちだ。惨禍を何倍にも大きくした本土空襲には、そして原爆投下には前史があったことをもっと知ってもいい。指導者はやめる勇気を持てず、なお泥沼にはまっていったことを、あらためて悔いてもいい。「熱涙滂沱(ぼうだ)として止まず」。玉音放送を聞き、百間はこう記した。
(上記日経新聞「春秋」より引用)
この件に関し、軍部の人事に関することだとしている記事が検索で見つかった。
天皇の言葉は「山下大将がもう一度戦果を挙げないと難しい」という意味だとしている。
昭和天皇が終戦を遅らせたのか?
もし、この発言が軍部の人事に関することだとしても。
天皇ヒロヒトは「指導者」ではないのか?
「戦争をやめよう」と言えたのはヒロヒト以外に誰がいた?
もっと早く戦争を終結させていたら。
3月の東京大空襲、沖縄戦、広島と長崎への原爆投下も防げたのではないか。
もうひとつ、この件に関する記事を紹介する。
戦争拡大との戦い 昭和天皇かく語りき
ここでも、軍部急進派を軍部穏健派で抑え付けるという問題だと解釈している。
さらに記事を紹介しよう。
昭和20年2月14日、近衛文麿は上奏文で「最悪なる事態(敗戦)は遺憾ながら最早必死...
昭和天皇の作戦容喙(関与)と戦争責任を考える
昭和天皇の戦争責任
近衛の上奏「戦争終結の御勇断を…」と天皇の拒否
よく、「戦争を次の世代に伝える」という。
こうした事柄について考察した後でないと、間違ったことを伝えるのが怖い。
現状では、いろんな考えが混在しているということでしかない。
このまま継承するというのは、受け継ぐ人たちが混乱するだけではないか。
1945年の8月14日。そして玉音放送のあった15日。
東京で、沖縄で、広島や長崎で人は何を考えていたのか。
少なくとも今日と明日は考えてみよう。
*****トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。
スパム防止のため承認制です。その場合リンクは必要とはしません。
一部、こちらからはトラックバックを送れないブログがあります。
コメントについても承認制です。コメントする人は、まず挨拶しましょう。
【関連する記事】

