松井市長は核兵器廃絶に向け、どのようなことを訴えるのか。
68回目の広島原爆忌…首相、米大使ら式典出席(読売新聞)
きょう広島原爆の日 「廃絶の原動力に」(日経新聞)
今朝、残念なことがあった。
ある施設で血圧を計測した女性のお年寄り。
計測結果を紙に書こうとして、「きょうは8月何日?」と隣の男性に訊いていた。
その男性も答えられない。
すぐ近くにいた私は思わず「8月6日です。広島原爆の日は忘れません」と答えた。
その女性は気まずそうに苦笑いをし「ありがとう」と私に礼を言ってその場を去った。
高齢なので忘れるのは仕方ないのかもしれない。
しかし、戦争について忘れるというのはこういうことなのかと私は理解した。
6日や9日に広島や長崎でも「きょうは何日?」という人は多くいるのだろうか?
少なくとも私はそうした人になりたくない。
新聞は何と書いているか。今日の読売の社説を紹介する。
原爆忌 一段と高まる核兵器の脅威(8月6日付・読売社説)
こう締めくくっている。
| 広島、長崎の惨状を訴える一方で、周囲の核脅威には米国の核で安全を担保する。それが、被爆国であり、非核保有国としての日本が取り得る現実的選択である。 |
「現実的選択」とは何とも便利な言葉だ。
この意見に批判的な人は、「理想論を振りかざす人」なのだろう。
もうひとつの核、原発について考えてみよう。
読売は原発を推進してこなかったか?それが彼らの「現実的選択」なのだろう。
そして、「現実的選択」が福島第一原発事故ではなかったか?
以前、私は以下のようなことを書いた。
社説について書いた部分を読んでほしい。
国旗と国歌について
| 議論の結果がどうであれ、今までこうした議論が盛んに行われなかったのが不思議だ。 ただ議論するのはいいのだが、「朝日には左寄りの人しかいない」ということはないだろう。 「産経でも今回の国旗国歌のことを強制と考えている」人はいないのだろうか? 一般人は新聞を完成した形でしか見ることができない。 社説などは新聞社の考え方がわかる部分だが、その意思決定までには紆余曲折はないのだろうか? 今回の国旗、国歌など、人によって意見が違うであろう問題ならばなおさらのこと、 「新聞発行までのプロセス」を知りたいと思うのは私だけだろうか? 外部の者に編集会議を公開するわけもないが、とても気になる。 |
読売社内には、「現実的選択」に疑問を投げかける記者はいなかったのだろうか?
だとしたら北朝鮮並みに足並みのそろった組織だ。とても気持ちが悪い。
結論を書けば、核兵器という究極の兵器を持つことは「臆病者」の論理だ。
アメリカはいろんな国で、多くの人から恨まれることをしてきた。
だから核兵器を捨てられない。銃と同じように。
その臆病者のアメリカに「核の傘」で守ってもらう。
日本は臆病者以下のヘタレでしかない。
私は8月6日を忘れない
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