今回はカトリックの神父について批判覚悟で書く。
カトリックの指導的立場にある神父。彼らは結婚ができない。
結婚するために神父の座を降りる者さえいる。
そのカトリック教会内で大きな問題となっているのが聖職者による性的虐待。
詳しくは以下のページに出ている。
カトリック教会の性的虐待事件(wikipedia)
アメリカでは、何と1万件以上もの性的虐待事件が疑われている。
これは、アメリカだけではない。ドイツやアイルランドでも起きている。
教会内での性的虐待については、以下の動画で詳しく報じられている。
上記の動画でも出てきたように、神父の結婚許可は性的虐待を防止する手段として有効。
私だけでなく多くの人はそう考えている。
しかし、そのような改革がバチカンで現実化するとは考えられない。
この件は、新法王誕生の際に記事として書いた。
新法王はアルゼンチン出身、フランチェスコ1世
(その後、「1世」なしの「フランチェスコ法王」となることが決まった)
私が言うまでもなく、カトリックは頑固。
「リベラルなカトリック」というのが冗談になるくらい。
先日、私はこの件で信者や神父に直接質問してみた。
どちらも神父の結婚については「ありえない」とのこと。
ではカトリック教会内での性的虐待を防止する方法はあるのか。
私はそこを問いたい。
もし、抜本的な解決方法がないのであれば、神父が風俗店に行くことを認めるしかない。
信者はそれを「見て見ぬ振り」をする用意があるのか。
この台詞まるで先日批判された橋下氏の発言と、とても似ている。
ならば、私も批判されるべきなのかもしれない。
確かにキリスト教的な考え方では「風俗=悪」なのだろう。
しかも聖職者がそこを利用するというのは考えられないに違いない。
だが、考えてみてくれ。
もし神父の性的欲求が達成されれば、教会内での性的虐待は確実の何割か防げた。
結婚もダメ、風俗もダメでは防止策が何かあるのか。
アメリカなどいくつかの国で起きた教会内での性的虐待。
日本で起きないという保証はない。
世界各国で再発しないという保証もない。
私を批判したい人、どうか代案を出してくれ。
この件における「批判のための批判」は受け付ける予定がないのでそのつもりで。
神父の結婚さえ認められないのであれば、風俗に頼るのはいけないことなのか。
私にはよくわからない。
※記事に書いたように、この件はコメントしないでもらいたい。
反論など意見があれば、ご自身で記事を書きトラックバックを送るといい。
*****トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。
スパム防止のため承認制です。その場合リンクは必要とはしません。
一部、こちらからはトラックバックを送れないブログがあります。
【関連する記事】

