4日の朝日新聞朝刊に、気になる記事が出ていた。
座禅でバシッ…体罰にあらず 禅宗僧侶ら「集中のため」 文書配布し周知(yahooニュース)
この記事にもあるように、「体罰ではない」という文書を配布するという。
まず、言葉について。
臨済宗は「けいさつ」。
曹洞宗は「きょうさく」と呼ぶのだそうだ。知らなかった。
こうした知識が得られるのは。
女子柔道元日本代表監督や桜宮高校バスケット元顧問のおかげか。
正直、私は警策の使用が体罰だということを否定できない。
朝日の記事に出ていたが、曹洞宗住職の話があったから。
修行道場で何十回もたたかれて肩を痛めたケースがあったという。
どの程度痛めたのかわからないが、これは傷害事件になりかねない。
そしてこう話しているという。
「誤解を招いたとすれば、我々も反省する必要がある」
(朝日の記事から引用)
この住職、潔い対応は立派。
すべての宗教指導者がこのくらい謙虚だと、世界はもっと平和になるはず。
記事には、こうしたことも書いてあった。
「座禅における警策は体罰ではありません」
「悟っていないものを警め、修行が進んでいないものを策ます」
(同じく、朝日の記事から引用)
私には分からない。体罰と、そうでないものとの違いが。
桜宮高校バスケット部首主将の自殺では、こんな意見がある。
「体罰が嫌なら、桜宮高校に入学しなければいい」
↑少なくともこの意見は間違っている。
この意見が正しいなら、桜宮高校は体罰を容認するということになってしまう。
自殺した主将が入学しなくても、体罰はあった。
入学しないだけでは解決にならない。
最近は、「違う意見」というものが尊重される。
ならば、禅宗でも「警策の使用は体罰」という住職がいてもおかしくない。
もしくは、「警策をまったく使わない座禅はある」とか。
結論はともかく、こうしたことが議論になるのはいいことだ。
「自分の世界ではどうなのか?」という疑問こそ、とても重要。
「くだらない」とか「当たり前」ということでも疑ってみるべき。
桜宮高校は、問題を突き詰めなかったからこそ自殺を防げなかったのではないのか。
***********************
関連記事
坐禅の警策は体罰か
↑この記事は、「体罰ではない」という内容。
参考にさせていただいた。
***********************
*****トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。
スパム防止のため承認制です。その場合リンクは必要とはしません。
一部、こちらからはトラックバックを送れないブログがあります。
コメントについても承認制です。コメントする人は、まず挨拶しましょう。
【関連する記事】

