2011年08月17日

「サヨナラ」の夏

今年の夏に言う「さよなら」は、意味が違う。

   黄色い花

昨日、16日の読売「編集手帳」にそんな記事が出ていた。

8月16日付 編集手帳

向田邦子のテレビドラマから引用する編集委員。
私はこのセンスが結構好きだ。

向田さんは食べ物にこだわっていた。
彼女のエッセイ、「父の詫び状」にもそのことが出ている。

3月11日の東京大空襲で家が運よく残った向田さんの一家。
「いつ死ぬかもしれない」ということで、白米を炊き精進揚げを作って食べた。

そのことを彼女がよく記憶しているのは何故か。
理由のひとつは戦争と食事が一緒になって記憶されているから。

今年は3月に大震災があった。
上記の「編集手帳」に出てくる女性が目を潤ませたのは。
「今年だからこそ」の意味があった。

逆に、「さよなら」を言わなければならないことが多くある。
原発は今のまま推進でいいのか?

信頼を裏切った総理は、首相官邸から出なくていいのか?
「さよなら」を言うべき場面は実に多く存在している。


報道する側もまた同じ。
「編集手帳」を掲載した読売は原発を推進したがっている。

読売には、脱原発を訴えるスタッフはいないのだろうか?
以前、「国旗と国歌について」でも同様のことを書いた。

巨大メディアには、実に多くの人材がいる。
となれば、その中には「異端」と呼ばれる人も含まれるはず。

右傾化した意見を持っている朝日の記者。
逆に、左寄りの産経記者だっているはずだ。

ならば、そうした異端児たちの意見はどうなってしまっているのか。
この点を記事にしたらすごく面白いはず。

異端児がいるのは、その組織にとって大きな財産になるはずだ。
なぜなら、みんなが同じ意見であることほど気味の悪いことはない。

多くの人が亡くなった3月の大震災。
そして、今でも大きな影響を残している福島原発事故。
いろんな「さよなら」が今年はあった。

「さよなら」で思い出すのはレイモンドチャンドラーと石田衣良。
「ロング・グッドバイ」(邦題「長いお別れ」)にはこんな一節がある。

「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」
(「長いお別れ」から引用)

一方の石田衣良は、直木賞受賞作「4teen」をこう結んでいる。

「次の日にまた会うに決まっている友達にさよならをいうのは、
いつだってなかなか楽しいものだ」

(「4teen」から引用)

また会えるさよならと、永遠の別れになるさよなら。
今年は多くのさよならがあった。

今日もまた、日本中で多くのさよならが口から出る。
そのさよならには、どんな希望があるのだろうか。

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posted by りゅうちゃんミストラル at 08:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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