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1942年に出たこの小説は、世界中で翻訳されている。
(私が読んだのは窪田啓作訳)
今後、日本でも読み継がれるに違いない。
主人公ムルソーは北アフリカのアルジェに住んでいる。
作品の冒頭で亡くなる母親は、養老院で生涯を終えた。
ムルソーは母の死を伝える電報を読んでも泣かなかった。
亡くなった母親に会った時も、葬式でも彼は感情を表に出さなかった。
この点が、後に彼の運命を決めることになる。
知人であるレエモンという男は女性問題でトラブルを抱えていた。
そのため、彼の近くにはアラブ人が彼を監視していた。
このトラブルに巻き込まれたムルソー。
アラブ人を拳銃で射殺してしまう。
裁判で被告となったムルソー。
母親の死にも泣かなかった彼は、非人間的と検事に解釈された。
射殺の際、最初の銃弾を放った後、時間を置いて4発を発射した。
この点もムルソーに悪い印象が残った。
裁判の終わり近くになって、彼は射殺の理由を太陽のせいにした。
法廷内はもう誰も彼と弁護士の主張を聞く耳を持たなかった。
裁判は、被告人不在のまま進む。
陪審員たちの評決は有罪。
裁判長はムルソーに死刑を宣告した。
再び収監されたムルソーのもとに、司祭がやってくる。
しかし彼は面会を断った。
司祭は彼の救済をあきらめない。
だが彼は司祭を罵倒する。
死刑確定。それでも彼は幸せだと言い放つ。
執行の際、多くの人によって罵倒されること。
それが彼の望みだった。
タイトルの「異邦人」とは、ムルソーのこと。
母親が死んだ際、演技であったとしても泣くこと。
それができない人は、裁判で刑が重くなる。
確かにムルソーは変わっている。
だが、死刑になるほど反社会的な人物なのかどうか。
それは多くの人が疑問に感じたのではないか。
それでも私は思う。
拳銃を持つこと。そしてそれを人に向けて発射すること。
1発撃った後に、少し間があって4発撃ったこと。
こうした状況で、人は恐ろしくならないだろうか。
戦争であっても人を殺すということはトラウマになるもの。
(「西部戦線異状なし」を思い出す)
だがムルソーは違っていた。
死んだ男の痛み。そして彼にもいたであろう家族の痛み。
ムルソーは人の痛み感じなかったのか。
その痛みを感じない点が異質であることに、私は疑問の余地がない。
私が読んだ新潮文庫には、白井浩司氏による解説が載っている。
気になるのはムルソーの処刑をキリストの磔刑死と比較している点。
白井氏は、作者が両者とも「無実の罪」だと解釈している。
当たり前だがキリストはピストルで人を殺さなかった。
キリストの磔刑死とムルソーの射殺事件を同列に見る。
その視点が私にはまったく理解できない。
もうひとつ、忘れないよう記録しておく。
同じく解説に、広津和郎と中村光男による「異邦人論争」があったという。
これは知らなかった。
つい先日、私は宮部みゆきの「地下街の雨」について以下の記事に書いた。
「地下街の雨」宮部みゆき
↑この記事で書いたように、広津和郎は松川事件にこだわった。
かなり前の作家について、こんなつながりがあるとは思わなかった。
これも何かの縁だろう。
次にカミュの作品を読むとしたら、「ペスト」になるのだろうか。
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関連記事
『異邦人』アルベール・カミュ
↑「千夜千冊」での記事。参考にさせていただいた。
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