ということで、「悲しみよこんにちは」を読んだ。
サガンの才能に驚いた。
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主人公は17歳の少女セシル。
母親を亡くし、寄宿舎の生活から父親と暮らす。
夏のバカンスシーズン、親子は海の近くに別荘を借りていた。
だが、父と娘は二人だけではない。
エルザという若い女性が一緒だった。
父親は半年ごとに愛人を取り替えるという奔放ぶり。
セシルはそのことになれるのに時間がかかった。
それでも自由のある生活は楽しかった。
母親の友人であるアンナが来るまでは。
アンナは父親と同じく40代だが、セシルに規律を求めた。
試験勉強をするように主張し、彼氏のシリルとの付き合いもやめるよう言った。
反発するセシル。
父親とアンナの関係が深くなったことで別荘を出たエルザ。
そしてシリルの二人を使って計略をめぐらすセシル。
計画はうまくいったように見えたのだが・・・
日本でも、新人作家が出てきた時に「鮮烈なデビュー」などという表現を使う。
だが、この作品を読めばその言葉が多くの場合いかに陳腐であるか。
それを思い知る。
18歳にしてこの作品を出したサガン。
短い言葉を多用し、セシルの内面を説明ではなく表現する。
鮮烈というより驚愕という言葉がふさわしい。
読みながら考える必要がある作品。
150ページと長くはない作品を読むのに時間がかかった。
普遍性ということで言えば、この作品は1954年に出た。
しかし今読んでも色褪せることなくその輝きは健在だ。
今だけではない。
30年、50年と世界中の人に読み継がれるだろう。
しかも読者の年齢を選ばない。
10代で読んだら作者、主人公のつもりで読める。
20代ならシリルの目線、40代なら父親の視点がある。
興味深いのは、日本語訳を担当した朝吹登水子氏によるあとがき。
彼女は54年の12月、パリにあるサガンの家を訪問した。
サガンという名はプルーストの小説からとったもの。
プルーストをはじめ、詩人のランボーやサルトルをサガンは好んでいた。
驚きだったのは日本の映画が好きだと言っていたこと。
「羅生門」や「地獄門」を彼女は挙げていた。
次の作品である「ある微笑」についても語っていた。
その部分を紹介しよう。
「私、この次の小説が出るのを、みんなが機関銃をもって待ち受けているってことを知っているわ」」
(太字部分、「あとがき」より引用)
デビュー作が大きな話題となった若い作家。
となれば批評家の多いフランスでは批判の的になりかねない。
日本でさえ、若くて有能な作家がデビューするとプレッシャーで潰されることがある。
だが、サガンの場合はプレッシャーにかかわらずデビュー作だけで終わらなかった。
私は思う。
何回生まれ変わっても、こんな文章は書けない。
私だけではない。
10代の作家が話題になったことといえば、日本では綿矢りさを思い出す。
「インストール」が文藝賞を受賞したのは01年。
17歳だった。
そして04年「蹴りたい背中」が芥川賞に選ばれたのは大きな話題となった。
しかも、同時受賞が「蛇にピアス」の金原ひとみ。こちらも当時20歳。
サガンと比較する私がおかしいのかもしれない。
だが「蹴りたい背中」と「蛇にピアス」は今後も多くの読者に読み継がれるだろうか。
こうした驚きがあるからこそ、たまには古典を読むべきだと反省する。
この世にはすごい作品が多くあるものだ。
(気がつくのが遅すぎ!と再び反省)
追記
そういえば、「きことわ」で第144回芥川賞の朝吹真理子。
彼女から見て、朝吹登水子は大叔母なのだという。
(兄の孫娘という関係)
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才能ある小説家は 年齢が 若く 世にでるのかなぁ
各記事の終わりにも書いてありますが、まず挨拶しましょう。
サガンの才能については私だけでなく、多くの人が認めるところです。
ですが、若くして成功した人はその後が大変です。
サガンも晩年はいろいろとありましたから。