橋下徹知事率いる「大阪維新の会」が過半数を占めるため、この条例は可決される予定。
大阪維新の会府議団、君が代起立条例案を提出(日本経済新聞)
この件については、すでに以下の記事で書いた。
橋下知事、「君が代で起立しない教員処分」
今回提出された案に罰則はない。
しかし9月議会で罰則条例を成立させる意向を橋下知事は示している。
日の丸、君が代に関する私の意見はこうだ。
国旗と国歌について
↑このページでも書いたが、大切なことは内容。
今回の条例に賛同する人たちはこう言う。
「国旗や国歌で起立するのは当たり前」
ならば問題は簡単だ。
この問題ですべきことは条例で強制することではない。
起立しない教員たちを説得することだ。
条例で強制し、従わせて何を得るというのか。
私には、この条例案の意味することがまったく理解できない。
サミュエル・ジョンソンの言葉を紹介しよう。
「愛国心は卑怯者の最後の隠れ家」
ケストナーは「飛ぶ教室」の前書きで、こう主張している。
賢さをともなわぬ勇気は野蛮であり、勇気をともなわぬ賢さなどなんの役にも立たない。世界の歴史にはおろかな連中が勇気をもち、賢い人々が臆病だったような時代がいくらもある。だがこれは正しいことではなかった。勇気のある人々が賢く、賢い人々が勇気をもつときにはじめて人類の進歩は期待されるのだ。 |
大阪での条例可決の動きは野蛮なのか。
それとも勇気あることなのか。
私は前者だと考える。
君が代と日の丸は、よく訴訟になる。
今年3月に、東京高裁で東京都側に逆転敗訴判決が出た。
以下のページに詳しく出ている。
真摯な動機によるやむにやまれぬ行動
↑高裁判決では起立しないことが「やむにやまれぬ行動」と認めている。
いわゆる「国旗、国家法」が国会で議論された時。
時の内閣は「起立する自由もあれば、また、起立しない自由もあろうと思うし、また、斉唱する自由もあれば、斉唱しない自由もあろうかと思うわけで」と起立しない自由について述べた。
(野中広務官房長官の答弁。太字部分、上記のページ「真摯な動機・・・」から引用)
君が代や日の丸を条例で強制して、何が得られるのか。
得るものと失うものをよく考えよう。
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