死ぬとは何か、重松はこう表現した。
主人公は小学六年のユウキ。
ヤノたちにいつもいじめられている。
同じ塾に通うマサヤから、「星のかけら」について聞く。
それを持っていれば、どんなことにも耐えられるという。
「星のかけら」は交通事故が起きた場所にある。
車のフロントガラスが砕けたものだ。
二人は塾の帰りに「星のかけら」を探しに行く。
そこで少女フミと出会う。
マサヤの兄、タカヒロは中二の不登校。
フミの死がトラウマになっている。
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「小学六年生」に連載されたものを加筆し文庫化した。
前に読んだ「くちぶえ番長」を思い出す。テーマは「流星ワゴン」と重なる。
ヤノにはヤノの、マサヤにはマサヤの物語がある。
エリカが将来教師になれば、イジメを許さないだろう。
重松は家族を描く作家として知られている。
しかし、「カシオペアの丘で」。
そして「きみ去りしのち」のように家族プラス命をテーマにした作品も多い。
以下の文章が記憶に残る。
「お守りなんて、自分の心の中にしかないんだから」
(P72)
「生きているひとは、みんな、自分の力で歩いていかないと、だめなの」
(P148)
「星のかけら」は存在するのか否か。
私は存在すると考える。それは、「青い鳥」(メーテルリンク)みたいなものだ。
今生きているという奇跡について語りたい重松の考えは理解できる。
ただ、彼はすでに国民的作家。もっと上手く表現できなかっただろうか。
「くちぶえ番長」と比較すれば、説明になっている気がする。
この程度で重松を高く評価してはならない。
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